『阿波内侍から島倉千代子へ』



               髙野 澄 (著)
第2部
「東京だよ おっ母さん」
第1章
「見えずとも きっと見えます 見えました」
                      (08~15)

08
「H少年は聴く、唄う」
 天空を東へ、東へ・・・
「この方向でよろしいのですね」
「少年の歌声、すこしずつ明瞭、高音になってきた」
 マサヒト親王、明石覚一、阿波内侍、バンナ法師の四人は京都の安居院の旧跡から天空に飛びあがり、東をめざして飛翔する。
 お供と護衛をかねる役目を志願した法師たち十数人もあとから飛翔しているはずだが、親王やバンナ、内侍のみえる目でも確認はできない。
 みえぬ目の覚一はどうかというと、法師たちの飛翔の音をたしかめようともしない。
 かれらが〈お供いたします〉と決意して誓ったからには、どんな障害があろうとも退くはずはないと信頼しきっている。

 少年の歌声が強くなれば飛翔方向は正しく維持されている。
 弱くなるなら方向維持にまちがいがあるから修正しなければならないが、これまでは順調。
「少年の真上で降下しますが、いきなり降りれば少年は驚愕、あわてて悲鳴をあげたりして、事件にならないでしょうか。浮世では、事件となれば警察がただちに出動、新聞が報道して、さわぎになります」
「ラジオ・・・というものもあります」
 もの問いたげの視線が向けられているのを察知したにちがいない親王が、視線をはねかえす意志もあきらかに、
「ワレがラジオを知らぬ、さようにおもっておるな」
「いえ、決してそのような・・・」
にい二六にいろく事件のまえ、ワレは藤原資徳すけのりを密使として東京に潜入させ、青年将校たちの武装決起をやめさせようとこころみたが、失敗、その結果はご存じの真珠湾攻撃、広島と長崎への原爆投下、当今の親王名はなんといったかな、愛する遠孫の降伏宣言」
「降伏宣言はヒロヒト親王、第百二十四代」
「ヒロヒト!」
「ああー、二・二六事件!」
「そのさい、資徳が知らせてきた情報にしたがって、ラジオはもちろん、レコードやチコンキの造り方、使い方などを平安京で研究したものだ」
「うたがいませぬ、おっしゃるとおりだったのでしょう」
「ニワカづくりのレコードに青墓傀儡のサワが今様歌の一品を吹きこんでチコンキにかけたら、音声が出たよ。諸君よりは、ワレのほうが詳しいかもしれぬ。テレビもすでに実験がはじまっていたのを存じておる」
「ニワカづくりのレコード?」
「ニワカではない、ニカワ!」
「シンノウさま、ニワカづくりではなく、ウルシづくりです」
「さよう、ウルシづくりのレコード盤」
 チコンキ、正しくはチクオンキだが、東京で〈チクオンキ〉といえば田舎者だとおもわれ、ばかにされるきびしい世相についても教えてやるか──マサヒト親王の鼻がピクピク動くのはちょっとしたいたずらをやって三人をからかいたい気があるからだが、大事のまえの小事、つまずいて大事に失敗するのはつまらぬと気づいたのだろう、唇をしめた。
「ワレラの姿は少年にはみえぬ──はずだから、そーっと、しずかに降りればよろしい」
 バンナが補足して、
「姿をみせてならんわけではない。姿をみせなければ双方のこころが通じぬこともあるが、そのときはそれ、いまはまず、みえぬように、こっそりと降下する」
 少年を五~六メートルぐらいの円周でとりかこむかたち、無音で降下した。
 それにあわせたように、バタバタと音がして、降ってきたものがある。
「まあ、シンコ法師さま、おひさしぶり!」
「いつのまに!」
「年寄り法師、みなさまのお邪魔になってはならぬ、東へ飛ぶのはやめようかと、いちどはあきらめたが、みなさまが空気を切って飛びあがる音をきいては自分で自分を停められぬ、叱られるのは承知のうえ」
「はじめてお会いする、ワレはマサヒト」
「シンコです」
 マサヒトとシンコ、風格の上下をくらべても、差はみられない。浮世ですごした年月はマサヒトが長いようにおもわれ、人生の傷跡が深い。

08
「青年団の村芝居」
 田舎芝居の舞台はE川の堤防の下の水田につくられているが、少年は水田の席ではなく、堤防の中ほどの斜面に、ひとり席をしめていた。
 孤独の環境をこのむ性質だ。孤独でなければ「新妻鏡」には惹かれない。
 歌声の主の少年──名はH──は監視されている。
 警察に監視されているのではない。
 数百年まえの天皇と法皇経験者、建礼門院の女官、琵琶法師の集団当道座の統率者と法師たちという、計測不能な遠い時間と距離の向う側からやってきた大物ぞろいが少年を監視している。
 こういう大物が、浮世の、少年ひとりを監視するためにだけ、わざわざ天空を飛翔してやってくるはずはない。

「堤防の斜面の上のほう、ひとり、敷物なし、ゴムの長靴、ひとは寄せつけぬぞ、といった雰囲気」
「のんびりしては、おらぬ。気を張りつめて」
「こころは舞台の上に」
「男と娘の二役になりきって」
「唄うというには足りぬ。つぶやき、小声のつぶやき、しかし一語一語をはっきりと」
「くちびるは動いています。あれがカレの唄い方ですね、見えずとも きっと見えます 見えました」
「カレはワレラに気づいては──おらぬ」
 めざす地点に落下した五人、つぎの日のうちにはH少年の素性や家の履歴など、個人情報のおよそをあつめていた。

09
「稽古場 H少年」
 A県B郡C村大字おおあざD、E川がF川に合流して東へながれ、さらに関東の大河のG川に合流して東京湾へ出てゆく。
 C村の大字D──晩秋の稲刈りがおわった。
 冬小麦の種をく田と、なんにも蒔かずに冬を越して初夏の稲の苗代なわしろづくりまでやすむ田と、このあたりの農地の冬越しは二手にわかれる。
 農地は水田がほとんど。
 水田と畑をあわせて田畑でんばたという言い方があるが、畑は宅地の四辺にかぎられ、耕地すべてが水田といってまちがいではない。
 水稲栽培を増やしたい農家は畑の四囲に堤をきずき、用水をくみあげて水稲をつくるが、水揚げの苦労のわりには収穫はすくなく、苦笑いの感情をこめて〈陸田りくでん〉と呼んだりする。

 稲刈りのあとの田に、稲藁いなわらを二~三センチ──牛に食べさせる飼葉かいばの長さ──に切ったのを一面に厚く散らせて見物席の湿気避しっけよけとしてある。
 なるべくは西向きに床と屋根をはり、左右と奥の三面の立ちあがりに紅白の幕をはりまわし、藺草いぐさのむしろを敷いて舞台とする。
 アメリカや中国、韓国を相手に仕掛けた戦争に負けて四年か五年、徴兵されて戦場に引いてゆかれた男たちの生死の別が判明し、どうやっても元へもどれぬ不幸、悲惨、怨恨の跡には目をつぶるしかないとあきらめも覚悟もついたころ、農作業にいくらかきが出る冬場の青年男女の遊びとして青年団の芝居がはじまった。

 稲束乾燥の竹と木材を転用し、冬の小麦をつくらない水田に仮設の舞台をこしらえる。
 水田はいくらもあるが、稽古場さがしには苦労する。
 板張りの床、照明用と電気チクオンキをまわしてレコードを鳴らす電気配線、持主の好意、若い盛りの男女があつまって稽古し、それが目当てでやってくる隣村の若者がいて、むやみに追っ払えばいいわけではないから、年寄りの警戒心をやわらげる気遣いも必要だ。
 少年はH家のひとり息子、小規模自作農、二階建ての作業室──仕納屋しのやの一階には稽古に使える床と電気配線もあり、当主がちかくの村の小学校の校長だから信用はある。
 若い男女の集団交際、唄って踊っては文化活動そのものだから、農村の文化推進に好意的らしいアメリカ占領軍のその筋からプラスの評価をうける期待もある。
 H少年の家の仕納屋が芝居の稽古場となった。

10
「快楽から失楽へ」
 さて、H少年──
 数年前、父が小学校の教頭になり、妻と長女をつれてC村からI町に転居し、私営鉄道のI駅のちかくの借家で少年は生まれた。兄がいたが、最初の誕生日のころ死んだときかされていた。
 生家の前が粗末なキャバレー、右へまがると映画館、名前はすばらしい富士館につきあたる。
 このころ、映画館よりはカツドウとよぶのがふつう。活動写真を上映する劇場──小屋とよぶのが実態にちかい──を略してカツドウ。
 夕食がおわると、父と姉の三人、座布団をかかえて富士館、土間の長椅子で映画を観る。
 昼の、上映していない時間には少年ひとりで映写室にはいり、切断されたフィルムの接合や整理、手伝うともなく手伝って遊んでいた。
 映写技師に「さわっちゃダメだよ」と警告されているが、それはおもてむき、技師は接合するフィルムのゼラチン層をがす溶剤──アセトンか、でなければハイポ──の名や使い方を教えてくれた。ハイポは接着剤だったかな。
 I町は宿場町、大通りの裏手におおきなお寺──ジゲンジ?──があり、縁日の境内ではテント張りの小屋でサーカスや演芸が観られた。H少年のお気に入りはオンナ芸人の水芸みずげい、息をのんで見入った。

 だが、さて──
 I町の快楽の日々は、父の転勤にともなうI町からE川の東岸C村、父の生家へ転居して失楽の日々に転落。
 カツドウがない、客寄せの流行歌がきこえない、ジゲンジのサーカスがない、水芸がない。
 いまごろはジゲンジにサーカスがきているはずだと思うだけで観にいけぬ絶望には痛さがともなって、あとに残り、いつまでも消えないから、同年代の遊び友達にそれとなくうちあけると、軽蔑といっては片づけられない差別、いや、強い憎悪のこもった意地悪の攻撃が降ってきた。
 ──半ズボンの前側にポケットがついている。
 ──入学前でも算数の掛け算ができるのを自慢する。
 ──ウンコといわず、オババという。
 ──銘々膳ではなく、家族がそろって丸いテーブルをかこんですわり、食事をする。
 ──東京そだちじゃないのに東京弁を話す。
 あれもこれもと陰口をたたかれ、責められるあとの仕上げの軽蔑が、
 ──あいつの家にはウシがいない、焼玉やきだまエンジンがない。
 分類は農家だが、農作業のほとんどは親しい農家に頼んでいたから田畑の耕耘こううんや運搬にウシを使わない、ウシを飼っていない。
 ウシがいない農家、それは稲作農村の光景としてまことに異例なのだと、少年はまもなく気づき、ますます辛くなるが、だれに不安をうちあけるか、相手がいない。
 ドスン、ドスンと重みを感じさせる爆裂音の焼玉エンジンは米や小麦の脱穀や粗糠あらぬかと小糠の二段階の精米、小麦の製粉に活躍する軽油のエンジン、手軽な割りには性能が高く、この時期の稲作農家には不可欠なものだった。
 焼玉エンジンがないH家を農家といえないのは当然、少年が反論する余地はない。

 もっと深刻なのが書籍や雑誌。
 H家には子供むけの読物がたくさんあったが、それは意地悪の理由づけの最たるものだった。書物が一冊もない、そういう家が多数だった。農作業に絵本など、ぜんぜん役に立たない。
 あっちの集落、こっちの集落、書籍の蓄えのある家の友達、それぞれ自慢の物件を持ち出して読みあい、見せあいの競争となるが、それがまた書籍と縁の遠い家の子供が嫉妬心を燃やす熱源となる。
 国民学校入学まえ、H少年は砂まじりの地面に指先で数字を書いて、二桁の掛け算をやらされた。ミセモノの役を演じさせられたのだ。

11
「ヨウちゃん 消えたお父さん」
 H少年の家の二軒となり、J家に赤んぼうが生まれて、父と友だち数人で見物に行った。父は祝いの言葉をのべ、子供は赤ん坊をみるだけ。
 冬の朝。
 南側の廊下の雨戸をあけはなし、赤んぼうの父親がすわって出産祝いの返礼をしていた。かしこまった挨拶ではない。
 赤んぼうは母の布団で、母といっしょに寝ていた。女の子だときいていた。
 赤んぼうの兄になった男の子がふたり、母と妹の布団に脚を入れていた。母と、生まれたばかりの妹の体温で暖まっていたのが、すぐにわかった。
 ふたりの男の子の兄はヨウちゃん、H少年の遊び友達、三歳ぐらい年少。
 この日は赤ん坊の兄としてH少年と父をむかえる立場のヨウちゃんも、母と妹の布団に脚をつっこんで暖をとっている。
 はじめて目にする出産数日後の光景だが、それにしても、なにかしら異常である。
 H少年は異常な光景の原因をすぐに理解した。
 ──ヨウちゃんの家には炬燵こたつがないんだ。
 ビンボウという言葉が口の奥にうかび、あわててひっこめた。
 ひとまえでこれを言っちゃいけないんだという自粛の本能がブレーキをかけた。
 これを、この場で口にしてしまえば、面とむかっては反抗できない、いじわる連中とおなじレベルにちてしまう。

 ヨウちゃんは片方の目がみえない少年だった。
 片方の目に人工、白濁の眼球がめてあった。
 それでもヨウちゃんは日常の暮しには困らないぐらいには、みえた。
 ゴム・ボールのキャッチ・ボールはできた。名投手とはいえないレベルだが、H少年もその程度。
 読書が好き、得意なタイプの少年とはいえなかったろう。読書の感想などをきいたことはないが、通学や授業を苦にするふうでもない。

 出産祝いからまもなく、ヨウちゃんのお父さんの姿がみえなくなった。
 チョウヘイされたのだときいた。
 ヨウちゃんのお父さんの姿が消えた〈その日〉があったはずだが、H少年には〈その日〉の記憶がない。
 ひとが消える、というのは、そういうことなのだ。
 だれかが現れた日は記憶にのこるが、消えた日の記憶はのこらない。
 あとになって、そのひとが消えているのがわかる。
 消えているのがわかるだけで、消えた日の記憶はのこらない。

 ヨウちゃんのお父さんの〈その後〉を知ったのは、アメリカ空軍のB29爆撃機がはじめて東京を空襲した、そのあとだろう。
 ──ヨウちゃんのお父さんが英霊になって帰ってくる!
 友達数人がヨウちゃんの家にかけつけ、庭で待っていた。
 お母さん、弟や妹たちといっしょにヨウちゃんが立って待っているところへ、銃剣づきの鉄砲をささげる兵隊三人と隊長が号令をかけられて到着、お母さんに白木の箱をわたした。
 あとになって、白木の箱にはお父さんの名を書いた紙切れと小石がはいっているだけ、ほかにはなんにもない、といった噂ををきいたが、ヨウちゃんに真相如何を問うのはよくないと自粛する常識はまもり、そのあと、いつも快活で楽しげなヨウちゃんと遊びながら国民学校一年生になっても、まだ戦争はやまず、ヒロヒト親王の敗戦宣言放送をきいたあと、E川で泳いだのがつぎの年の八月十五日、御盆の日だ。

 ──ヨウちゃんのお父さんの顔をみたのは、妹さんの誕生祝いに行った〈あの日〉の一回だけだな。
 H少年の記憶のうちで、いちばん長い記憶の糸だ。

 戦没者はおよそ二百三十万人といわれる。
 戦没者の生前の顔をH少年がみたのは、ヨウちゃんのお父さんの、ヨウちゃんの妹のお祝い、〈あの日〉の一回だけだ。
 父の弟──H少年の叔父──は敗戦まぢかに徴兵され、鉄砲も支給されないまま中国の上海につれてゆかれ、鉄砲がないんだから敵兵を殺しはしなかったろうが、殺されもせず、しかしマラアに感染して帰ってきて、ながいあいだ、マラリア発作熱の予感に怯えていたのをおぼえている。

 敗戦の年の秋だろう、F橋の手前の坂のうえ、教師に指名されたクラスメート数人で、たしか二回、「英霊迎え」をやらされた。
 軍隊はなくなったから、ヨウちゃんのお父さんのときのように兵隊ではなく、親戚か家族かに抱かれ、白木の箱が橋をわたってくる。
「英霊に敬礼!」
 引率の教師か、でなければ教師に指名されただれかが合図し、頭をさげているあいだに、いま目の前をとおりすぎているのはだれだれちゃんのお父さんの英霊だと意識にきざむが、それがだれか、記憶にのこらなかった。

12
「宝物は歌謡曲集」
 東京に近いから、H少年の国民学校には縁故疎開の生徒が多かった。四十人ほどのクラスに数人の疎開生徒がいた。
 少年の家には父の妹の娘が東京から疎開し、父の弟一家三人ががおなじく東京から疎開して仕納屋の床に畳を敷いて住んだ時期もある。
 少年も、友達のあいだでは疎開生徒の同類として受け入れられた雰囲気があった──そういって、まちがいではない。
 祖父がつくった屋敷にもどってきたんだと弁明しても、いじめ側の友達には、アイツはC村で生まれ育ったのではない、とつぜん現れたのだから疎開生徒同類だとうけとられ、劣勢の意識はぬぐえない。
 疎開生徒には共通の匂い、香りがあった。
 バターの香り、匂いである。
 T少年が疎開生徒とのつきあいを深めた第一のいきさつはバターだといっていい、自分にもバターの匂いがついているのは知っていたから。
 バターのつぎが東京弁、つまり標準語。
 そのまたつぎが、疎開生徒の住まいに置いてあるさまざまな書物、読物、雑誌、ひとことでいえば新聞以外の印刷物。
「その雑誌、定期講読している」
「このマンガ本、大切にしているんだ」
 こういう接点がH少年と疎開生徒をむすびつけ、気がついたら「疎開生徒+H」の少数派ができあがって、地元生粋の多数派との対立関係も意識されていた。
 あれを貸して、これを借りて、が頻繁にくりかえされ、これだけは是非とも自分だけの物にしたいと願って、ようやく手に入れたのが歌謡曲集だ。
 歌謡曲そのものの数が少ない時期だから、クズ紙を溶かして再製したペラペラの仙花紙せんかしを三十枚ほどかさねて閉じた歌謡曲集、立派な印刷物ではないが、印刷物そのものに飢えていた時期だから売れに売れて高値が維持され、子供の小遣いでは買えないしろもの。
 だれだれちゃんの兄さんが使っていたのがまわりまわって、かなり安い代償でH少年の所有となったいきさつがある。国民学校がむかしの名称の小学校にもどったころだ。
 少年は歌謡曲集の読みこみに没頭した。
 サトウハチロー作詞、万城目正作曲の「リンゴの唄」はだれでも唄っているから、ほかの歌。
 歌謡曲集では、戦前にレコードになっていた歌の歌詞をおぼえ、歌詞をみずに唄えるレベルをめざし、われながらハイレベルに到達した。なにやら〈勉強〉の感じがしないでもない。
 「湖畔の宿」「悲しき子守唄」「上海の街角で」「旅の夜風」「港シャンソン」「純情二重奏」「勘太郎月夜唄」「蘇州夜曲」「りんごのひとりごと」「新妻鏡」など、あっという間におぼえて唄いまくっていた。
 ──歌謡曲の秘訣がわかった。流行する歌ほど歌詞がおぼえやすい、唄いやすい!
 いちばん先に、からだのいちばん奥のほうまで届いて記憶したのが「新妻鏡」だ。
 はじめて唄ったとき、見えずとも きっと見えます 見えましたでつまずいたが、すぐに理解した。
 いますぐには理解できないが、
 ──いつか、かならず理解しなければダメだぞ!
 自分を叱るかのように頭におしこみ、きっと見えます 見えましたとくりかえしているうちに、わかった、わがものにした、そういう順序だ。
 ──いつまでもこの歌詞を理解できない、記憶もできないならば、自分は大人になれない。いつまでも、この村に縛りつけられ、自由に息ができないまま死んじゃうんだぞ!
 ──いまは苦しいけれど、我慢して、「新妻鏡」を唄い、おぼえれば苦しくなくなる。

13
「歌と舞踊 『新妻鏡』の神秘」
 学校がおわると、小走りでまっすぐに家にもどり、仕納屋にとびこんで、青年たちの今日の稽古の準備にかかる。
 稽古の演目はだいたいわかっている。
 青年たちがもちこんだ自慢のレコードが高く積もっている。「赤城の子守唄」「お島千太郎旅唄」「悲しき竹笛」「上海帰りのリル」などをひきだして、稽古の順番にしたがってそろえておく。
 舞台でおなじ演目が二度も三度もつづくことあるが、それはかまわない。
 他人の評価が高いひとは今日はコレ、あしたはアレと演目を替えて演じ、上手とはいえいなひと、自信のないひとは毎日おなじ演目をやってかまわない。
 青年団員は一回の公演につき、かならず一度は舞台に出るのが義務で権利、来年の公演がかならずあるときまってはいない、幹部もヒラの団員も懸命になる。
 準備がおわると、H少年は自分だけの準備にかかる。
 流行歌に合わせて踊る芸のほか、主催青年団の公的な挨拶がわりの演目として、民謡に合わせて一団となって踊る演目の「八木節やぎぶし」があり、伴奏の笛はダレ、かねたたきはダレと役をあてていったら、小太鼓の役が足りなくなってきた。
 リーダーがおもいつきで、
「Hちゃんにやってもらおうか」
 稽古場の貸主へ謝意をしめすわけもあって、息子のH少年に白羽の矢がたち、めでたく小太鼓を打つ役がまわってきた。
 両毛りょうもう地方の盆踊歌「八木節」は博徒の国定忠次をヒーローとした歌詞とリズム音頭、調子がいいので関東地方のすみずみにひろがり、祭礼ではかならずといっていいくらい披露される。
 少年ははりきり、小太鼓はないから、醤油のカラ小樽の上下をひっくりかえし、底板を棍棒こんぼうでたたく。まてよ、あの棍棒は、国民学校高等科の女生徒が手榴弾しゅりゅうだんの投げかたを練習する小道具じゃなかったかな?
 すぐに慣れた。
 タララッ、タララッ、タララッと三回つづけて、つぎの四回目は打たず、拍子木を空中で交差するかたちで空をたたいて無音とするコツがわかればいい。
 午後の、無人の稽古場、タララッ、タララッ、とたたいているのは気分のいいものだ。

 三日に一度ぐらいの割りで最初に顔をみせるのが、団員に「おやぶん」とよばれて尊敬され、少年も「おやぶん」とよぶ。
 あきらかに農民ではない雰囲気の五十から六十代の男、関東一帯に旅役者の興行を打ってまわる興行師だ。
 あっちこっちの青年団の芝居の指導をひきうけている。指導料は無料ではないだろうと少年は見当をつけていた。
 鬘や模擬の刀や槍、役柄それぞれの派手な舞台衣装、電気拡声装置のセット一式などを貸し付ける料金が主な収入なのだと、あとでわかる。

 公演がちかづくと、稽古場に紅白の幕をひきまわし、衣装もつけて仕上げの稽古。
 ドラマの稽古、舞踊の稽古。
 男女のペアの舞踊が多いから、ふたりは照れくさそうに、しかしひとまえで、晴れて手をつなげるチャンスに顔を紅潮させ、T少年がチコンキにかけるレコードに合わせて床の上を右往左往する。
 「新妻鏡」を踊るペアの数は年によってちがうが、少ない年でも五組はあり、上演回数最多の演目である。
 素人でも、いや、素人だからこそ演技の差は大きい。
 それでも、いちどきめた演目を変えるペアはない。
 ──あのひとと「新妻鏡」を踊りたい!
 去年から一年かかって練った計画がようやく日の目をみる、いまさら演目は変えられない。
 現代ものの舞踊の衣装はおやぶんには借りず、男も女も安くないカネをつぎこんで自前で調達する。
 T少年はチコンキのゼンマイをしっかりと巻いて、ふたりの合図を待っている。
 合図がきた!
 ピックアップをあげてブレーキをはずすと、レコードがまわる。先端だけメッキした竹針をレコードの溝にあてる。
 前奏がおわって、歌詞がはじまり、ペアが踊る。

 1)僕が心の 夫なら    2)たとえこの眼は 見えずとも
  君は心の 花の妻     清いあなたの 面影は
  遠くさみしく 離れても  きっと見えます 見えました
  啼くな相模の 鷗どり   愛のこころの 青空に(2))
 
 男の踊り手は派手に着飾っている。
 女は目がみえないしるしの黒メガネ、衣装も地味、うまく歩けない役だから、男の踊り手が斜めうしろへ下げた手につかまり、ころばぬように、つまずかぬように、しずしずと、あとから付いて前後左右に動くだけ。
 「港シャンソン」や「勘太郎月夜唄」のように派手ではないが、「新妻鏡」は人気最高の演目だった。
 ──なぜか?
 稽古がはじまったときから、H少年は深刻にかんがえた。かんがえざるをえない心境の自分を感じた。
 苦の心境ではない。
 かんがえる、かんがえる──そうすると、いつの日にかは、このC村の狭い世界のなかで優越できそうな予感。
 この謎が解けたときの昂揚の気分の褒賞はただものではないぞという予感、子供ではない、大人がひそかにめざす仙界の心境といったもの。
 稽古場の隅で友達といっしょになって、ペアの稽古をみているヨウちゃんの姿が目にはいった。
 ──この歌を聴いて、踊りをみて、ヨウちゃんはなにを感じるんだろう?
 しずかな微笑みのヨウちゃんに「どうおもう?」とはたずねられない。ヨウちゃんの、こころの傷を刺激する質問かもしれないから。
 ──みえないけれども、みえる。
 女の踊り手──タグチさんの次女?──の役のレコードがきっと見えます 見えましたと唄っている。
 ヨウちゃんの感想は彼女にきけば、わかるのかな?

14
「主題歌 挿入歌の魅力」
 小島政二郎の小説『新妻鏡』を原作としたヒロヒト親王即位十五年の新東宝映画「新妻鏡」が大評判になった。ヒロヒト親王はムツヒト親王皇子のヨシヒト親王の皇子、第百二十三代として即位した。映画の主演は山田五十鈴、岡譲二。
 主題歌「新妻鏡」と挿入歌「目ン無い千鳥」も歓迎され、コロンビアから発売されたレコードは売れに売れた。
 主題歌「新妻鏡」の作詞者は佐藤惣之助、歌手は霧島昇と二葉あき子、作曲は古賀政男。
 もうひとつの主題歌「目ン無い千鳥」の作詞はサトウハチロー、作曲は古賀政男、歌手は霧島昇とミスコロンビアの松原操。
 映画「新妻鏡」がヒットしたのは原作や映画そのものが上出来だったからだが、主題歌の魅力がレコードによって何倍にも増強され、それがまた映画館へファンをひきよせる相乗の効果だった。

 主題歌「新妻鏡」の作詞者の佐藤惣之助は近代詩の詩人として名を知られていた。
 佐藤惣之助が詞をつけた歌謡曲レコードは多く、初期の大ヒットが「赤城の子守唄」や「月形半平太の唄」「むらさき小唄」「人生の並木路」「青い背広で」など、作曲の古賀政男とのコンビがおおかった。古賀政男が歌謡作曲の世界で〈天皇〉の名をたてまつられる日も遠くはない。
 そして「新妻鏡」、これも作曲は古賀政男だ。レコード会社に巨額の売上をもたらし、つぎもつぎもと注文がくる。
 男声歌手の霧島昇にはすでに松竹映画「愛染かつら」の主題歌、女声歌手の松原操とデュエットで唄った「旅の夜風」の爆発的ヒットがあり、「一杯のコーヒーから」「誰か故郷を想わざる」などもさかんに売れていたから、映画が歌を呼び、歌が映画人気に拍車をかける相関効果があった。
 女声歌手二葉あき子は歌謡界への登場は霧島昇よりはおそいが、すでに映画「春雷」の主題歌「古き花園」の大ヒットがあり、この作詩もサトウハチローだ。
 大正文化の花形、東京浅草で花ひらいた都会的、アメリカンスタイル文化の権化のようなハチローである、映画の主題歌の作詞をはじめたのは古く、二・二六事件の翌年に公開された日活映画「うちの女房にゃ髭がある」の挿入歌「ああそれなのに」は唄い出しの「空にゃ今日もアドバルーン」が政府を刺激する恐れがあった。
 恐れの原因はアドバルーンである。
 青年将校の武装反抗に手を焼いた政府だが、すこしずつ圧迫をつよめ、天皇の勅命が下ったという意味の文言の垂れ幕をアドバルーンにつけて東京の上空に掲げた。
「勅命下ル、軍旗ニ手向カフナ」
 
 東京の空にあがる商業用のアドバルーンは、まるで、ついに武力行使にふみきった軍部上層にたいする国民の恨みと嘲笑のシンボルのようにうけとられた。
 映画「うちの女房にゃ髭がある」の主題歌「ああそれなのに」は新婚夫婦のじゃれ合い喧嘩を謳歌するだけの、他愛ない歌詞、どこを読んでも反戦や軍部批判の色彩はないにもかかわらず、映画を製作して公開した日活も、レコードを発売したテイチクも、これは危険だ、軍部に憎まれ、公開上映、発売禁止の処分をうけぬようにと警戒し、「おそれいりました」と恐縮を装うことにした。
 映画「うちの女房にゃ髭がある」の主演女優が星令子だから、主題歌作者は「星令子の亭主──ほしのていしゅ」すなわち星野貞志です、と逃げる姿勢を表明したペンネーム作戦なのだ。
 ──サトウハチローの詞をつけた歌謡曲は多くのひとに歓迎される。
 そういう自信をつけた映画会社、レコード会社だからこそ、あえて恐縮の姿勢をみせたといっていいはずだ。

「知っとるぞ、ワレは」
「はーっ! 失礼ながら、マサヒトさま、まさか?」
「ワレの密使、藤原資徳が平安京へ報告してまいった、ワレラは軍部に敗れました、敗北のしるしが東京の空にあがったアドバルーン、アドバルーンを映画と主題歌にしたのが「うちの女房にゃ髭がある」と「ああそれなのに」ですと、楽譜を添えて」

15
「『新妻鏡』 あらすじ」
 ヒロイン七里文代ななざとふみよは裕福な家のひとり娘、両親は亡くなり、女中を雇って東京で暮している。
 隣家の少年の空気銃暴発事故が原因で文代の両眼はみえなくなり、黒メガネをかけて暮している。
 少年の兄の大木喜一は弟の謝罪を口実にたびたび文代を見舞い、強引に文代と結婚する。だが喜一はすでに結婚しており、文代の財産を狙っての偽装結婚だから、入籍しない。
 文代と喜一のあいだに女の赤ん坊がうまれ、文代はひとみと名づけた。 瞳は目がみえるから母の文代をみられるが、母の文代には瞳の姿はみられない。娘の顔をみられない自分のかわりに、自分の顔をしっかりとみられる娘にそだってほしいという母の切望がこもった命名だ。
 文代には醍醐博だいごひろしという正義漢の青年との縁談がすすんでいたが、喜一と文代の突然の結婚で縁談は破棄される。
 しかし博は文代を愛しているから、文代と瞳の暮しと財産が喜一によって破壊されぬよう、陰ながら監視と援助をつづける。主題歌で僕が心の夫なら、清いあなたと唄い、唄われるのは醍醐博だ。
 やがて文代は喜一との結婚が法的には無効で、瞳は文代の私生児であり、七里家が喜一によって破産状態になっている真相を知るが、どうにもならない。
 文代と博は結婚はできなかったが、たがいに心の夫-花の妻なのだと唄いあげる「新妻鏡」の歌詞の一番はこのいきさつをうたっている。
 文代の目は見えぬ目であっても、いや、見えぬ目なればこそ心の夫-花の妻の関係は、ふたりには、ふたりだけには見えるのだと勝利の予感を謳歌し、文代が生きるちからの礎となる。

 堤防の斜面、他人を近寄らせぬ雰囲気をはりめぐらせて、ひとりすわり、仮設舞台で演じられる素人舞踊「新妻鏡」に見入り、聴き入り、レコードの歌唱が中断されて伴奏になると、小声で唄っては止め、止めては唄い、目をひらき、目を閉じ、自分の歌声の行方をじーっと追いかけるH少年。
 見えずとも きっと見えます 見えました

 少年の姿を離れてみている天空降下の五人のうち、最初に声をあげたのは阿波内侍だった。
「わたしは、あのH少年ほど丁寧に真剣に自分の話し方、唄い方を磨かなかった。いまおもえば恥ずかしい。覚一さまやお弟子の法師さま、みなさまに懈怠けたいなりと叱られはせぬかと、おそろしくなってきました」
 苦汁のおもいを吐く内侍にシンコ法師が一歩ちかより、
「あなたの平家一門の慰霊はわれら平曲語りの技芸とはちがい、一門ゆかりの方々とのあいだの、もうせば、血のつながりをたどる慰霊でございました。あなたの慰霊のコトのハは一門のみなさま個々の魂に通じたのです。お悦びなされよ、お悩みなさるな」
「血のつながり、それはおっしゃるとおり。なればこそ、なぜ、もっと丁寧に、真剣にせぬかと後悔ばかり」
 身悶えする内侍をなぐさめようと、マサヒト親王、
「ワレラは過去よりは、明日、明後日に、なにを、どうするか、それをかんがえようではないか。さようにせぬと気にさわり、からだに傷つけ・・・」
「からだ・・・親王さま、わたしは冥界のもの、からだなどとはとっくのむかしに離れております。傷などつけるおそれはございませぬ」
 内侍の言い方には怒りの気分さえ感じられた。
 親王があやまり、おだかな雰囲気になったところに、新しい声がきこえた。
「みなさま、如何でしょうか、H少年のところへまいって、稽古の様子を拝見するのは」
「おお、あなたはヤマモモ法師!」
「おひさしぶり、みなさま。わたしもお仲間に入れてもらえませんか」
「ワレはマサヒト、はじめてお会いするな。ヤマモモ法師はみえる目の法師と噂にきいていた。諸君よ、ヤマモモさんを大歓迎、異議はなかろうな」
 またひとり法師がふえて、H少年の家の稽古場へ移動する。
                    (第2部-2・終)